社会のルールで何が一番大事かということは,いろいろな社会によって微妙に違ってくるかもしれません。でも,どんな社会にでも大体共通して大事に考えられているルールがあります。それは,「盗むな,殺すな」という原則です。
これは,社会のメンバーそれぞれの生命と財産をお互いに尊重するというルールになっているわけです。
どういうことかというと,自分の気分しだいで勝手に人を殺していいということになると,今度は自分がいつ殺されるかわからないということにもなりうるわけです。ですから,「殺すな」は結局自分が安全に生き延びるという生命の自己保存のためのルールと考えられるわけで,別に世のため人のためのルールと考える必要はないのです。
「盗むな」もそうです。盗んでもいいという社会では,自分の持ち物・財産がいつ盗まれるかわからない。「殺すな」が守られない場合と同様,とても不安定な状況になってしまう。だから,「盗むな,殺すな」という社会のメンバーが最低限守るべきであると考えられているルールは,「よほどのことがない限り,むやみに危害を加えたりせず,私的なテリトリーや財産は尊重し合いましょう,お互いのためにね」という契約なのです。
こうした観点から「いじめ」の問題をあらためて考え直してみると,誰かをいじめるということは,今度は自分がいつやられるかわからないという,リスキー(=危険)な状況を,自分自身で作っていることになります。
いじめるか,いじめられるかを分けているのは,単にその時々の力関係によるもので,いつ逆転するかわかりません。
無意味に人を精神的,身体的にダメージを与えないようにするということは,自分の身を守る,自分自身が安心して生活できることに直結しているのです。
菅野 仁 (2008). 友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 筑摩書房 pp.88-89.
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