もう少し明示的な名を使ってみよう。たとえば,自己複製するものは生物である。子供のできない人は生物ではなくなるのではないかという疑問は,言い方を少し変えれば解消するとして(自己複製されたものが生物である),困るのはウイルスである。
ウイルスはDNAまたはRNAを含む微小なタンパク質の袋で,自力では自己複製ができず,必ず,他の原核生物や真核生物の中に入り込んで,これらの代謝機能を利用して自己複製する。トリヴィアルな言い方をすれば,ウイルスは他の細胞に寄生することによってのみ生きている。もちろん,このような言い方が成立するためには,ウイルスは生物であるという前提が必要になる。
ところがよく知られているようにウイルスは単独でいる時には代謝をしていない。別の言い方をすればエネルギーの出入りがない。エネルギーの出入りがない点では,そこいらへんにころがっている本や椅子と同じである。単独でいる時のウイルスは単なる高分子に過ぎない。場合によっては結晶になってしまう。我々のナイーブな感覚では結晶になるようなものは鉱物であって生物ではない。
だから,たとえばウイルスがカブトムシぐらいの大きさがあれば,ウイルスは生物であるとする言説は成立しない。ウイルスが生物であるとする説がもっともらしくみえるのは,ウイルスが見えないからである。
池田清彦 (1992). 分類という思想 新潮社 pp.28-29
PR