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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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100パーセント理解しあえないのが当然

 さて,この点をもう一度確認しておきましょう。「自分のことを百パーセント丸ごと受け入れてくれる人がこの世の中のどこかにいて,いつかきっと出会えるはずだ」という考えは,はっきり言って幻想です。
 「自分というものをすべて受け入れてくれる友だち」というのは幻想なんだという,どこか覚めた意識は必要です。でもそれは他者に対して不信感を持つことと決してイコールではないということは,ここまで読んでくれた皆さんになら,きっと理解していただけるはずですね。
 価値観が百パーセント共有できるのだとしたら,それはもはや他者ではありません。自分そのものか,自分の<分身>です。思っていることや感じていることが百パーセントぴったり一致していると思って向き合っているのは,相手ではなく自分の作った幻想にすぎないのかもしれません。つまり相手の個別的な人格をまったく見ていないことになるのかもしれないのです。
 きちんと向き合えていない以上,関係もある程度以上には深まっていかないし,「付き合っていても,何かさびしい」と感じるのも無理もないことです。
 過剰な期待を持つのは辞めて,人はどんなに親しくなっても他者なんだということを意識した上での信頼感のようなものを作っていかなくてはならないのです。
 このことと少し関連するのですが,このところ,自分を表現していくことに対して,すごく恐れのある人が多くなっているのではないかと思うのです。
 思春期というのは多かれ少なかれそういうものですが,それはなぜかというと,「百パーセントわかってもらいたい」とか,あるいは「自分の本当のところをすべてきちんと伝えたいじゃないか」と思ってしまうことが原因なのではないかと思います。それもやはり,「百パーセントの自分を丸ごと理解してくれる人がきっといるはずだ」という幻想を,知らず知らずのうちに前提しているためです。
 むしろ「人というものはどうせ他者なのだから,百パーセント自分のことなんか理解してもらえっこない。それが当然なんだ」と思えばずっと楽になるでしょう。だから,そこは絶望の終着点なのではなく希望の出発点だというくらい,発想の転換をしてしまえばいいのです。

菅野 仁 (2008). 友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 筑摩書房 pp.126-129.
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