アリストテレス(紀元前384〜322年)は,青銅器時代の土地利用が土壌の生産力を低下させたという確信をプラトンと共有していた。その弟子テオフラストス(紀元前371〜286年)は,下層土の上にあって植物に養分を供給する腐植に富んだ層を含め,異なる層位から成る土壌の6種類の区分を認識していた。テオフラストスは肥沃な表土とその下の土との区別を強調した。
プラトンもアリストテレスも,青銅器時代の土地利用がその地域の土壌を劣化させた形跡に気づいていた。数千年といくつもの文明を経て,考古学者,地質学者,古生態学者らはアリストテレスによる時代の推定が正しかったことを立証した。農耕民は紀元前5000年ごろに到着し,紀元前3000年には地域一帯に数十の農村集落が散在していた。土壌侵食の深刻な影響が初めて現れたとアリストテレスが断定する時期には,耕作が盛んになっていた。このような知識は,しかし,古代ギリシアが同じ轍を踏むのを防ぐには役立たなかった。
デイビッド・モンゴメリー 片岡夏実(訳) (2010). 土の文明史:ローマ帝国,マヤ文明を滅ぼし,米国,中国を衰退させる土の話 築地書館 pp.66
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