モーセ一行が到着したとき,カナンはエジプトの軍事的ゆういに従属する都市国家の集まりだった。堅固に防備されたカナンの都市が,農業に適した低地を支配していた。躊躇なく,新参者たちは空いている高台を耕した。「山地は森林だが,開拓してことごとく自分のものにするがよい」(「ヨシュア記」17章18節日本聖書協会『新共同訳』)。小さな村に住みついた彼らは,丘陵地の森を切り開いて階段状にした斜面を耕し,約束の地に足場を固めた。
イスラエル人は新しく拓いた中腹の農地で,カナンの伝統的農法を採用し,隣人たちが栽培するものを栽培した。しかし彼らは輪作と休耕も行ない,雨水を集めて段々畑に配水するシステムを設計した。新たに鉄器が開発されたことで収量が増え,余剰作物が生まれ,より大きな集落を支えることができるようになった。畑を7年ごとに休耕にすることが義務づけられ,動物の糞と藁を混ぜて堆肥が作られた。土地はイスラエルの民が世話を委ねられた神の財産であると考えられていた。ユダヤ(訳註:古代パレスチナ南部)の高地で,よく手入れされた石造りのひな壇が,数千年間耕作されてなお土を保っていることにラウダーミルクは注目した。
後のローマ統治下で農業の規模が拡大し,そのために中東の属州では紀元1世紀までに森林が切りつくされた。傾斜が急すぎて耕作に適さない土地にある森は,例によって牧草地になった。至る所でヤギとヒツジの群れが草を食べつくした。あまりに多くの家畜が急斜面に放牧されると,壊滅的な侵食が起きた。数千年かけて堆積した森林土壌が消えた。土が失われれば,森も失われる。
デイビッド・モンゴメリー 片岡夏実(訳) (2010). 土の文明史:ローマ帝国,マヤ文明を滅ぼし,米国,中国を衰退させる土の話 築地書館 pp.97-98
PR