1790年代まで,奴隷労働で耕作されるプランテーションは,タバコ以外ほとんど栽培していなかった。18世紀末に南部のプランテーションが多様な作物を栽培し,より多くの家畜を飼うようになるにつれ,奴隷労働の収益は減っていった。綿花栽培の隆盛で奴隷売買が再び活性化するまで,南部住民の多くは,奴隷制度は経済的に忘れ去られるだろうと思っていた。綿花はタバコと同じくらい土地に負担をかけ,タバコに輪をかけて奴隷労働に依存した。
奴隷労働には単作農業が必要と言ってもいい。そのため1年の大半,土地は裸のまま放置され,侵食されやすくなる。単作への依存は輪作と堆肥の安定供給源の増加を共に妨げる。タバコか綿花以外に何も栽培されなければ,餌となる穀物や牧草が不足し,家畜を飼うことはできないからだ。いったん定着してしまうと,奴隷制度はモノカルチャーを経済的に不可欠なものにした——そして逆もまた同様であった。南北戦争までの半世紀,南部の農業は奴隷労働に依存した結果,土壌保全策の普及を阻害した。それは土壌の疲弊を保証したも同然だった。
デイビッド・モンゴメリー 片岡夏実(訳) (2010). 土の文明史:ローマ帝国,マヤ文明を滅ぼし,米国,中国を衰退させる土の話 築地書館 pp.185
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