1933年の最初の大きな暴風は,11月11日にサウスダコタを一掃した。たった1日で表土をすべて失った農地もあった。翌日,空は昼まで暗かった——空気1に対して砂塵が3の割合で混ざっていたのだ。これが小手調べに過ぎないとは誰にもわからなかった。
1934年5月9日,モンタナとワイオミングの農地が強風に引き裂かれた。南北ダコタを横断した風は土砂を巻き上げ続け,3億トン以上の表土が時速150キロで東へ飛んでいった。シカゴでは住民1人あたり2キログラムの砂埃が空から落ちてきた。翌日,ニューヨーク州北東部のバッファローは真昼だというのに暗くなった。5月11日の明け方には,砂塵はニューヨーク市,ボストン,ワシントンに積もっていた。大きな茶色の雲は大西洋のはるか彼方から見えた。
常に植生に覆われ,数百万のバッファローが草を食んで(そして肥料を与えて)いたときには回復力を持っていたプレーリーも,すき起こされ長引く旱魃に乾ききると粉々に崩れてしまった。土壌を固定する草とその根がないため,数十年前なら何事もなく吹いていた風は,田園地帯を砂混じりのハリケーンのように引き裂いた。しおれた作物の刈り株の根元から,むき出しの乾燥した土壌が強風に飛ばされ,広大な地域で流された土砂が吹きだまった。強風が巻き上げた大量の砂塵は,人間を窒息させ,作物を切り裂き,家畜を殺し,遠く離れたニューヨーク市を不気味に覆い隠した。
国家資源委員会は,1934年末までに,砂嵐はバージニア州よりも広い面積を破壊したと報告した。加えて4000万ヘクタールが深刻な被害を受けた。
デイビッド・モンゴメリー 片岡夏実(訳) (2010). 土の文明史:ローマ帝国,マヤ文明を滅ぼし,米国,中国を衰退させる土の話 築地書館 pp.205-206
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