幾世紀にもわたって,日本人は私たち西洋人よりも緻密なものを作ってきた。1200年に作られた日本刀は,その時代に作られたことが信じられないほどだ。おそらく,日本車が米国車よりきっちりしているのは,日本できちんとした家具が作られてきたことと同じ理由による。彼らは,ものをうまく作ることに取り憑かれているんだ。
私たち米国人は違う。何かを作るとき,米国人はとにかく仕事を終えることを考える。とりあえず動くものができたら,そこからは2通りの道がある。そこで作るのをやめて,バイスグリップみたいに不恰好だが何とか使えるものを作っていくか,あるいはそれを改善してゆく——でもたいて,そういう改善とはごてごてした装飾を付けていくことだ。車を良くしようと米国人が考えるのは,その時々の流行によって,尾ひれを付けてみたり,車体を長く伸ばしてみたり,窓を小さくしてみたりといったことにすぎない。
家もそうだ。米国で家といったら2種類しかない。ツーバイフォーの柱に石膏ボードを打ち付けたぺらぺらの箱か,あるいは超豪邸,つまり大きくてドラマチックな外観を備え,高価な家具を配置したツーバイフォーと石膏ボードのぺらぺらの箱だ。金持ちだからって,より良いデザインや優れた職人の仕事を得られるわけじゃない。ただ,普通より大きくて目立つ家が手に入るだけだ。
米国では,良いデザインや職人の仕事は特には評価されない。私たちが好むのはスピードだ。速くできるなら醜い方法も喜んで許容する。ソフトウェアや映画などの分野では,これはトータルで有利な方向に働く。
Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.3
(引用者注:さすがに1200年の日本刀は古すぎるのでは…)
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