残念なことに,美しいものは論文になりやすいとは限らない。第一に,研究は独創的でなければならない。そして,博士論文を書いた経験のある人なら誰もが知っているように,確実に処女地を探し当てて開拓する一番良い方法は,誰も向かおうとはしない場所へ向かうことだ。第二に,研究にはある程度の量的なまとまりが必要だ。そして,へんてこなシステムであるほど,たくさんの論文が書ける。そいつを動かすために乗り越えなければならなかったいろんな障害について書けるからね。論文の数を増やす最良の方法は,間違った仮定から出発することだ。人工知能の研究の多くがこれに当てはまる。知識は抽象概念を引数に取る述語論理式の羅列で表現できる,と仮定して始めれば,それを動かすためにたくさんの論文を書くことになるだろう。リッキー・リカルドが言ったように,「ルーシー,君はたくさん説明することがあるね」ってなわけだ。
何か美しいものを創るということは,しばしば既にあるものに微妙な改良を加えたり,既にある考えを少しだけ新しい方法で組み合わせたりすることによってなされる。この種の仕事を研究論文にするのはとても難しい。
Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.25
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