これまで述べてきたことを踏まえて,私は貧困状態に至る背景には「五重の排除」があると考えている。
第一に,教育課程からの排除。この背景にはすでに親世代の貧困がある。
第二に,企業福祉からの排除。雇用のネットからはじき出されること,あるいは雇用のネットの上にいるはずなのに(働いているのに)食べていけなくなっている状態を指す。非正規雇用が典型だが,それは単に低賃金で不安定雇用というだけではない。雇用保険・社会保険に入れてもらえず,失業時の立場も併せて不安定になる。かつての正社員が享受できていたさまざまな福利厚生(廉価な社員寮・住宅手当・住宅ローン等々)からも排除され,さらには労働組合にも入れず,組合共済などからも排除される。その総体を指す。
第三に,家族福祉からの排除。親や子どもに頼れないこと。頼れる親を持たないこと。
第四に,公的福祉からの排除。若い人たちには「まだ働ける」「親に養ってもらえ」,年老いた人たちには「子どもに養ってもらえ」,母子家庭には「別れた夫から養育費をもらえ」「子どもを施設に預けて働け」,ホームレスには「住所がないと保護できない」ーーーその人が本当に生きていけるかどうかに関係なく,追い返す技法ばかりが洗練されてしまっている生活保護行政の現状がある。
そして第五に,自分自身からの排除。何のために生き抜くのか,それに何の意味があるのか,何のために働くのか,そこにどんな意味があるのか。そうした「あたりまえ」のことが見えなくなってしまう状態を指す。第一から第四までの排除を受け,しかもそれが自己責任論によって「あなたのせい」と片づけられ,さらには本人自身がそれを内面化して「自分のせい」と捉えてしまう場合,人は自分の尊厳を守れずに,自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。ある相談者が言っていた。「死ねないから生きているにすぎない」と。周囲からの排除を受け続け,外堀を埋め尽くされた状態に続くのは,「世の中とは,誰も何もしてくれないものなのだ」「生きていても,どうせいいことは何一つない」という心理状態である。
湯浅 誠 (2008). 反貧困 「すべり台社会」からの脱出 岩波書店 pp.60-61.
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