代替報酬が別の時点で提供されるとき,それぞれは自分の利益を作り出す。1つの利益が他を追い払えるのは,他の報酬が支配的になるのを妨げるような持久力のあるコミットメントを残せる場合だけだ。ダイエット利益が何らかの手を使って,私がアイスクリームに近づかないよう手配できたら,アイスクリームの割引見通しはダイエットからの報酬の割引見通しを決して上回らなくなり,ダイエット利益は実質的に勝ったことになる。だが,アイスクリームの価値がダイエットの価値から飛び出すたびに,アイスクリーム利益は何日にもわたる我慢の成果を台無しにしかねない。究極的に人の選択を決めるのは,単純な好みではない。それは僅差の法案が実際に可決されるかどうかを決めるのが,その議会での単純な投票力だけではないのと同じことだ。どっちの場合にも,戦略こそがすべてなのだ。
このプロセス——表現手法が限られているために必要となった権力交渉——こそが,人を統治する唯一のものらしい。哲学者や心理学者は「自己」という統治機関を持ち出したがる。この自己というやつは,自律的だったり,分裂したり,孤立したり,脆かったり,幾重にも縛られていたり等々ということになっているが,別にそれが本当に器官として存在する必要はない。人の各種報酬から生まれる,多数の行動傾向を統一に向けてうながす要因というのは,それらが実質的に同じ部屋に閉じ込められているのだ,という認識なのかもしれない。
ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.66-67
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