癖が報酬制を持つと言ったら,このことばの直感的な意味合いから逸脱気味になるかもしれない。だが,「報酬」ということばの最も基本的な意味——つまりそれに先立つ行動を繰り返したくなるのもすべてという意味——で考えれば,この種の行動を維持させるものには報酬性があると言わざるを得ない。実はこの一見不合理なパターンは,伝統的な報酬とそれを与えない期間とを繰り返せば動物にも引き起こせてしまう。
行動実験で,ハトが一定量の穀物を得るのに必要なボタンつつきの回数をだんだん増やしてみよう。必要つつき回数が一定量を超えても,ハトたちはつつき続けるが,つつく機会そのものをなくすような選択肢があるとそっちを選んだ。さっき挙げた人間と同じように,そのハトはひたすらつつき続けるけれど,でも同時に,そのつつき行動を引き起こす刺激を避けようとする。この誘惑とその回避というプロセスなんかなくても,ハトたちとしては,必要なつつき回数が増えすぎて割に合わなくなった時点でつつくのをやめればすんだ話だ。同じように,サルをコカイン漬けにする実験でも,時にサルたちはコカインが手に入らなくなるような選択をする。でも,それが入手できるときには,がんばってそれを入手しようとする。
散歩が好きだとしよう。散歩ルートには二種類ある。1つは3キロ,1つは4キロほどだ。でも3キロの道のほうには50メートルごとに,ちょっと道からそれたところに5円玉が置いてある。4キロの道のほうには何もない。5円玉を拾うのにいちいち道からそれてかがみ込むのが60回ほど繰り返されると,3キロ歩くのに1時間ほどかかって,その分の苦労とひきかえに1時間で300円ほど手に入る。4キロの道のほうも1時間かかる。よほど金に困っている人でもない限り,ほとんどの人は5円玉なしの道を歩きたがる——少なくとも何回か経験した後ではそっちを選ぶようになるだろう。もちろん,5円玉をいちいち拾わないぞと決心することもできるけれど,これには余計な努力が必要になる。この散歩の不愉快さは,ちょっとでも楽しい空想にふけりはじめたと思ったら5円玉が視界に入ってきて注意がそれることからくるのはまちがいない。5円玉が道の最初か最後に5メートル間隔でまとめて置かれていれば,不愉快さはかなり減るだろう。
癖は,この5円玉を拾いたいという衝動と同じく,選択の市場の中でほかの衝動と競合する。そして癖が時には勝つということは,基本的な選択プロセス——報酬——が起こった証拠だ。
ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.81-82
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