読者のみなさん自身も,こうした競合を体験できるかもしれない。今度,歯に詰め物をするなどかなり痛い体験をするときに,局部麻酔なしでやってもらおう。自分の思考の流れと,すさまじい何も考えられないほどの痛み体験との間の競合がわかるし,刺激(つまり歯の研磨)が絶え間なく続けば続くほど,そちらに流されたい衝動がますます強くなるのもわかる。この観察で何が重要かというと,痛みというのも選択の市場において,快楽の機会と同じように支配権をめぐって努力しなくてはならないということだ。もちろん痛みを特徴づけるのは,だれもそれを欲しがらないということだが,でもそこには癖や中毒の持っている特徴と共通する部分がかなりある——癖や中毒というのは,基本的には求められないけれど,でも一時的には選好されるので問題を引き起こすような選択だが,痛みにもその特徴があるのだ。
ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.88-89
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