「日本人=集団主義」説の立場にたつ日本人の心理学者から,つぎのような研究の動機を聞かされたことが何度かある。……「これまでの心理学は,欧米での研究結果をそのままにほんにあてはめてきた。だが,異なる文化をもつ日本人は,その心理も欧米人とは異なっているはずであり,日本人特有の心理を明らかにすることが日本の心理学者の責務なのだ。」
この主張に共感する日本の心理学者は少なくないようである。しかし,その「日本人特有の心理」を,アメリカの自己賛美イデオロギーの裏返しである「集団主義」にもとめたのでは,結局,お釈迦様の掌の上を飛びまわった孫悟空の二の舞に終わってしまうのではないだろうか。
「日本人=集団主義」説の立場から書かれた中根千枝や土井健郎などの著書は英訳され,おなじ立場にたつ欧米の研究者によって頻繁に引用されてきた。「日本人自身が自分たちは集団主義だと言っている」という事実は,「日本人=集団主義」説の信憑性を高めるための恰好の証拠として利用されてきたのである。その結果,「集団主義」は,日本人の代名詞にまでなった。そして,「だれもが信じている」ということ自体が,さらにまた,この説の信憑性を高める役割をはたすようになった。
「ハウリング」という現象がある。マイクとスピーカーが向かい合っているときに生じる現象である。はじめ,マイクに小さな音がはいると,それがアンプで増幅されてスピーカーから出てくる。その音がマイクにはいって,さらに増幅されてスピーカーから出てくる。さいごには,耳をつんざくような大音響になってしまう。これが「ハウリング」である。
「日本人は集団主義的だ」という欧米人の言葉を耳にした日本人は,「欧米人の言うことだから間違いはないだろう」と思い,自分でも「日本人は集団主義的だ」と語るようになる。これを聞いた欧米人は,「日本人自身がそう言っているのだから間違いはないだろう」と考えて,「日本人=集団主義」説にますます確信をいだくようになる。このサイクルが繰り返されていくうちに,だれもが確信をもって「集団主義的な日本人」を口にするようになる。
しかし,だれもが信じているということは,かならずしも,この説が正しいということを証明しているわけではない。だれもが信じていることは,たんなる大音響のハウリングにすぎないのかもしれないのである。
高野陽太郎 (2008). 「集団主義」という錯覚 日本人論の思い違いとその由来 新曜社 pp.246-248.
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