迷信的な儀式を陰で操っている思い込みは超自然現象信奉かもしれないが,ひとつ,興味深い点がある。迷信的儀式の効果で,不確実性に起因するストレスが確かに減少するのだ。験担ぎの儀式はコントロール感を生む。まあ,そこまではいかないにしろ,実際にコントロールできていなくても,コントロールできると信じる気持ちをもたらす。コントロールの錯覚は,危害に対する免疫を生み出す実に強力なメカニズムだ。とりわけ,危害が予測不能である場合の効果のほどは絶大である。私たちはランダムに考えるのが苦手なうえに,前触れもなくひどい目に遭うのを嫌う。早く済んで欲しい,できるならすぐにでも片付けてしまいたいと,ひたすら願う。私は少年時代をスコットランドで過ごしたのだが,校庭でケンカをして“ムチ打ち”の罰を受けることになり,校長室の外に座って待っていたことがあるのを覚えている。思えば,外国訛りのせいで,浮いた存在になっていたのだろう。あの年頃になるともうブギーマンなど怖がらないので,体罰こそ最良の抑止力と考えられていたのだ。ムチは手のひらを叩くように特別設計された,野蛮な革ベルトだった——今では禁止されている習慣である。しかし,耐え難かったのは,ムチで打たれる痛みではなく,むしろ待つことと無力感だった。自分の置かれた状況をコントロールできなかったからである。電気ショックを使う痛覚閾値,つまり痛みに耐えうる限界に関する研究では,いつでもこの処罰をやめてもらえると思っている者は,それができないと思っている者に比べて,はるかに強い電気ショックに耐えられることが分かっている。何かをすること,あるいは,何かをできると信じることで,不快なことが耐えやすくなる。行動を封じられること自体が心理的苦痛なのである。
ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.51-52
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)
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