用語法について念を押しておこう。有神論者(theist)は,そもそもこの宇宙を創造するという主要な仕事に加えて,自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し,影響を及ぼしているような超自然的知性の存在を信じている。多くの有神論的な信仰体系においては,神は人間界の事柄に密接にかかわっている。神は祈りに応える。罪を赦し,あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み,私たちがいつそれをおこなうかを(あるいはそうしようと考えることさえ)知っている。理神論者(deist)も超自然的な知性を信じているが,その活動は,そもそも最初に宇宙を支配する法則を設定することに限定される。理神論の神はそれ以降のことに一切干渉せず,人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。汎神論者(pantheist)は,超自然的な神をまったく信じないが,神という単語を,超自然的なものではない<自然>,あるいは宇宙,あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う。理神論者は,彼らの神が祈りに応えず,罪や懺悔に関心をもたず,私たちの考えを読みとったりせず,気まぐれな奇跡によって干渉したりしないという点で有神論者と異なる。理神論者は,彼らの神が,汎神論者の神のように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく,ある種の宇宙的な知性である点で汎神論者と異なる。汎神論は,潤色された無神論であり,理神論は薄めた有神論なのである。
リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2007). 神は妄想である 宗教との決別 早川書房 p.34.
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