この説に一理あることは,私自身の体験からも言える。私は幼年時代によく釣りをしたのだが,餌に使うウジ虫はどちらかというと苦手だった。モゾモゾとうごめく小さな体をつまみ上げて釣り針に刺す時のうっと吐き気がこみ上げてくる感覚は,今も忘れられない。気持の良いものではなかったが,それでもできないことはなかった。数年後,このウジ虫で大変な目に遭うことになる。10歳になっていた私は,同じ年頃の少年たちがよくやるように,古い廃屋に入り込んで宝探しをするのに凝っていた。ある廃屋で,暗い部屋から部屋へと忍び歩いていた時のことである。屋内には地震の後のように物が散乱していたので,がらくたや家具の残骸,の隙間に足の踏み場を探しながらそろそろと進んでいた。真っ暗な奥の部屋に入ると,かすかなざわめきというか,ブーンというような音が耳に飛び込んできたが,音の出所は分からない。そこで,小さなふわふわのクッションのように見える物の方へと足を踏み出した。実はそれが,死んだ猫の膨れあがった死体だったのだ。体重をかけてしまった足の下で,死体はライス・プディングを詰め込んだ風船のようにポンとはじけた。何が起きたのか理解できずにいるうちに,腐臭がパンチのように鼻先で炸裂して,喉に塊がこみ上げ,吐きそうになった。腐肉の悪臭が地球上でもっとも不快なもののひとつであることは誰もが認めるところだ。死体の肉をあさる獣やハエはいざ知らず,人間には生まれたときから刷り込まれている反応である。破れ窓から差し込んでいる一条の光を足にかざした時,私の目は,ウジが塊になってうごめいているスニーカーの惨状にくぎ付けになった。絶叫しながら日の光の中に転げ出て,結局は裸足で家に帰った。その日以来,私はウジ虫恐怖症である。ウジ虫を見かけるたびに,抑えがたい強烈な吐き気に襲われる。視聴者に一言の断りもなく,身をくねらせるウジ虫のショットを映画やドキュメンタリーに挿入して喜んでいるような映画監督には憎悪さえ覚える。ウジ虫たちが目指す究極の生き物であるハエについては,これを抹殺することに無上の喜びを感じる。カルマも仏教もくそ食らえだ。生まれ変わってハエになるくらいなら,叩きつぶされるほうがマシだと思っている。もうひとつ,間違っても私には,デザートにライス・プディングを出さないでほしい。
ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.102-103
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)
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