私たちはなぜ自然選択を誤解するのか,そして,キリスト教原理主義が根付いている環境ではなぜ天地創造説がこれほど幅を利かせているのか?答えは,私たちの心が生来,天地創造説びいきであるからだ。結局のところ,天地創造説を生み出したのは人間の心であるのに対し,自然選択による進化は発見された事実なのである。創世記が書かれていなくても,別の創世の物語が紡ぎだされていたに違いない。インカ人もエジプト人もアステカ人も皆,神秘的な創世神話を持っていた。消滅した文明にはことごとく創世神話があったらしい。どの文化にも創世の物語があるのは,人間にもともと,世界をパターン,目的,因果関係と結びつけて理解したがる傾向があるからだ。わたしたちの自然な心の設計図は,それぞれに異なるさまざまな動物と植物が地球上の生命を造り上げていると理解しているのに,進化は1から10までそれと矛盾する。目的も方向性もないくせに極めて多様な生命体を生み出せるとする理論など,私たちはもともと信じるようにはできていない。挙げ句の果てに,人間は皆,バナナの親戚だと信じろと言われては,たまらないではないか。
ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.113
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)
(引用者注:この前のページで,「人間の遺伝子の98%がチンパンジーと同じだが,50%はバナナと同じだ」という話が出ている)
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