人々を“ゴミ”や“害虫”呼ばわりすることは,その人間性を否定するばかりでなく,彼らを本質的に異なる者,汚れた者として扱う口実を他の者たちにも与えることになる。ツチ族の子どもが人間であることをやめて,ゴキブリになったのでもなければ,どうして隣人であるフツ族がツチ族の子どもをナタで惨殺するなどということがあり得よう?私たちが他者を受け入れようと,遠ざけようと,本質主義は私たちの行為に物理的な理由をつけて正当化する。社会的な動機による集団のための行為であるにせよ,行為者自身,自分のしていることは正しいと感じているのだ。この惨状はどこから生まれてくるのか?私たちはそれをどのようにして他者と結びつけているのだろう?
答えは子どもたちの内で育つ本質主義と,汚染は拡散するという観念の芽生えにあると思う。そうした考えがやがて,本質を備えているはずの生き物,それも特に他の人間に対する私たちの反応のしかたを方向付けていくことは明白だ。本質を伝播可能なものと捉えれば,自分は孤立した存在ではなく,超自然的なつながりを信じることによって互いに結びついていると思える部族の一員だと考えられる。他人を,自分とは本質的に異なる存在となる属性を備えた人々と見なすようになる。こういう考え方から見るに,本質的な属性の中には,特に伝播しやすいものがあるようだ。私たちが他人に認める本質的な属性には,若さやエネルギー,美しさ,気質,強さがある。性的嗜好さえも,本質的な属性だ。しかも,これらの属性は,他の属性より伝播しやすいと考えがちだ。ここで言う他の属性は,たとえば髪の色やチェスの腕前,政治的信念であるが,どれもかなり不安定で,時とともに変化する可能性があるため,本質的ではない属性とみなされることが多い。
ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)
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