一応紹介しておくと,見えない視線を感知する能力の存在を示す有力な証拠というのを報告している研究もある。それらの研究で用いられている典型的な被注視感測定方法は,目隠しした被験者の後ろに観察者が立って,被験者をじっと見つめるか,眼を閉じているというものである。中には,被験者と観察者を別々の部屋に入れて,カメラを介して行った実験もある(ラスのエネルギー場という説明がますます怪しくなりそうな実験だ)。注視と非注視を交互に行い,実験を何度も繰り返して,正答数を統計的平均50パーセントと比較する。この50パーセントという値は,被注視感が存在しない場合に予想される値である。最も大規模な研究は,子どもたちを対象として1万8000回に及ぶ実験を行っていて,極めて有意な結果が得られたと報告している。この研究では確かに何かが検出された。被注視感の存在を証明するには,それで十分ではないか?
言わせてもらえば,これらの研究から浮かび上がってくる最も興味深い発見のひとつは,見えない視線を感知する能力ではなく,脳が備えている驚くべきパターン検出能力である。有意な被注視感が認められたと報告している研究の大半では,注視と非注視の順序が本当にランダムにはなっていない。つまり,目隠しされた被験者たちがこのランダムではない順序の検出のしかたを学習していたというところが事実のようだ。1章で紹介した,キーボードで“1”と“0”のキーを打つ例を覚えているだろうか?人間は,自分では意識していなくても,交互のパターンを検出するようにできている。1回の試験ごとに正統をフィードバックされていてば,順序のパターンを検出することもできる。そのため,試験の成績を毎回知らせるのをやめると,検出効果が失われて,成績は偶然の範囲内に戻るのである。
ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.334-335
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)
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