確証バイアスが組み込まれているために生じる不都合は,根拠のない因果関係までたくさんつくってしまうことだ。迷信とは,そういうものだ。たいていの迷信は,実際には関係のないふたつの事柄が,偶然に結びつけられたところから出発している。数学の試験に合格した日に,たまたま青いシャツを着ていた。品評会で賞をとった日も,たまたま青いシャツを着ていた。それからあとは,青いシャツが縁起のいいシャツだと考える。
動物は,確証バイアスのおかげで,いつも迷信をこしらえている。私は迷信を信じる豚を見たことがある。養豚場では,豚は電子制御された狭い餌用囲いの中で一頭ずつ餌を与えられる。豚は食べ物をめぐってほんとうに意地きたないけんかをすることがある。それで養豚家は囲いを使って平和を維持するのだ。どの豚も電子タグを首輪につけていて,それが料金所の電子通行証のような役目を果たす。豚が餌用囲いまでやってくるとスキャナーがタグを読みとってゲートを開け,豚が入るとゲートを閉めて,ほかの豚が一頭も入ってこないようにする。囲いの側面はがんじょうなので,外にいる豚は鼻が中までとどかず,餌を食べている豚のしっぽやお尻に噛みつくことができない。
豚は囲いの中に入ると,餌用囲いに入れてもらえるのは首輪のおかげだと考えるものがいて,持ち主のない首輪が地面に落ちていると,拾って囲いまで持っていき,それを使って中に入る。この場合,確証バイアスによって現実的な正しい結論を導いている。
ところが,ほかの豚も,これまた確証バイアスにもとづいて,囲いの中の餌桶にまつわる迷信をこしらえる。私が見ていたときには,何頭かが餌用囲いまで歩いていって扉が開いていると中に入り,それから餌桶に近づき,地面を踏み鳴らしはじめた。足を鳴らしつづけていると,そのうち頭がたまたま囲いの中のスキャナーにじゅうぶんに近づいて,タグが読みとられ,餌が出てきた。どうやら豚は,たまたま足を踏み鳴らしていたときに餌が出てきたことが何回かあって,餌にありつけたのは足を踏み鳴らしたからだという結論に達していたらしい。人間と動物はまったく同じやり方で迷信をこしらえる。私たちの脳は,偶然や思いがけないことではなく,関連や相互関係を見るようにしくまれている。しかも,相互関係を原因でもあると考えるようにしくまれている。私たちが生命を維持するうえで知っておく必要のあるものや,見つける必要があるものを学ばせる脳の同じ部分が,妄想じみた考えや陰謀めいた説も生み出すのだ。
テンプル・グランディン&キャサリン・ジョンソン 大橋晴夫(訳) (2006). 動物感覚 アニマル・マインドを読み解く 日本放送出版協会 pp.135-136.
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