ヒトラーがダーウィンからヒントを得たというよく言われるデマは,部分的には,ヒトラーもダーウィンもともに,何百年にもわたってすべての人が知っていたこと,すなわち望みの性質を備えた動物を育種できるということに感銘を受けたという事実から来ている。ヒトラーはこの常識を,ヒトという種に差し向けたいと願っていた。ダーウィンはそうではなかった。ダーウィンのひらめきは,もっとはるかに興味深く,独創的な方向に彼を導いたダーウィンの偉大な洞察は,選抜実行者がまったく必要ないというものだった。自然が——単純に生き残れるかどうか,あるいは繁殖成功度の差によって——育種家の役割を果たすことができる。ヒトラーの「社会的ダーウィニズム」——人種間の闘争という彼の信念——についていえば,実際には非常に半ダーウィン主義的なものである。ダーウィンにとっては,生存闘争は一つの種の内部における個体間の闘争であり,種間,人種間,あるいはその他の集団間の闘争ではなかった。ダーウィンの偉大な本の「生存闘争において有利なraceの存続」という,不適切で不幸な副題に惑わされないでほしい。本文そのものから,ダーウィンがraceを「共通の由来または起源によって結びつけられた人間,動物,あるいは植物の集団」(『オックスフォード英語大辞典』定義6-I)という意味で使っていないことは,きわめて明白である。むしろ彼は,この辞典の定義6-IIの「なんらかの共通の特徴を1つあるいは複数もつ人間,動物,あるいは事物の集団,あるいはクラス」に近いものを意図していた。6-IIの意味の実例は,「(どの地理的変種に属するかどうかにかかわらず)青い眼をもつすべての個体」といったものである。ダーウィンには使えなかった現代遺伝学の専門的な術語で,彼の副題の「race」の意味を表現するとすれば,「ある特定の対立遺伝子をもつすべての個体」となるだろう。ダーウィン主義的な生存闘争を個体集団のあいだの闘争と考える誤解——いわゆる「群淘汰」誤謬——は,残念ながら,ヒトラーの人種差別主義に限られたものではない。それは,ダーウィン主義に関する素人の誤解にたえず顔を出し,もっとよくわかっているべき職業的な生物学者のあいだにさえ出てくる。
リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2009). 進化の存在証明 早川書房 pp.127(脚注)
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