かかりつけの医師の待合室で,抗生物質治療を完治しないうちに止めることの危険性を警告するパンフレットを読んで,私は少し苛立っていた。この警告にどこも悪いところはないが,私の気に障ったのは,そこに示されている理由だった。パンフレットは,細菌は「賢く」,抗生物質への対処を「学習する」のだと説明していた。おそらくこれを書いた人は,抗生物質耐性という現象は,自然淘汰ではなく学習と呼んだほうがわかりやすくなると考えたのであろう。しかし,細菌が賢いだとか,学習するなどというのは,まぎれもなく混乱を生むもので,なによりも,完治するまで抗生物質を飲み続けるようにという指示を患者が理解するうえでなんの助けにもならない。細菌が賢いという表現が説得力をもたないことはどんな愚か者にもわかる。たとえかりに賢い細菌がいたとしても,時期尚早に治療を止めることがなぜ,賢い細菌の学習能力に違いを生じるのか?しかし,自然淘汰という観点から考え始めたとたん,それは完璧に理に適ったものとなる。
リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2009). 進化の存在証明 早川書房 pp.215
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