では,なぜ日本にはかくも老舗が多いのか。「有能な他人よりも無能な血族を信頼せよ」という格言のある華人社会。それに対し,「息子は選べんが,婿は選べる」という言葉が残る大阪をはじめ,日本にはたとえ他人でも,これと見込んだ人物を引き上げる許容力が存在した。そして,その許容力を支えたものこそが職人気質だったのではないか。日本やドイツでは血のつながりのない弟子を我が子同様に育み,血縁にとらわれずに評価する職人気質の風土が伝統的にあり,それが老舗を支える力となったのかもしれない。
とはいえ,近年,日本社会や日本人は師匠と弟子,経営者と従業員といった人と人のつながりを「しがらみ」として絶ち切ってきた。そこに入り込んできたのが西欧の個人主義である。しかし,人はひとりでは生きられない。個人主義の下では個々人が責任を持つだけでなく,人々がバラバラにならないための努力と工夫が必要である。西欧,とくにアングロ=サクソン系の個人主義は,個人を単位としつつも個と個のつながりをつなぎとめようとする工夫を凝らした個人主義である。それにもかかわらず,自我と社会との間の曖昧さを体得してきた日本人が頭で学んだ個人主義は,何か過ちを犯したとき,謝り,周りに身を委ねる代わりに,他人に責任をなすりつけるだけの他罰的なものになってしまった。
松井彰彦 (2010). 高校生からのゲーム理論 筑摩書房 pp.102
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