小説を例にしてみよう。この頃は,読みやすいことが絶対条件になりつつある。すらすらと抵抗なく読み進められる文章を多くの読者が求めている。ネットのブログに散見されるのは,読みたくて買ったけれど読む時間がないから,どんどん未読の本が増えてしまう,という悩みである(正直なところ,たぶん悩んでいるのではない。プラモデルマニアが,作らないキットを蓄えるのと同じ心理だろう)。「これ,凄く読みやすいから」と人に薦める場合も多い。「読みやすさ」が,小説の評価のポイントの1つになっていることは確かだろう。だが,考えてみたら変な話ではないか。読みやすいことが,何故良いことなのだろうか?
読みやすい文章もあれば,読みにくい文章もある。書き手と読み手の相性もあるし,絶対的に難解な文章を書く人もいる。しかし,それはそういう個性なのだ。読むのに時間がかかる,ということは悪いことではない(良いことでもないが)。
できるだけ短時間で楽しみたい,という欲求は,もし楽しめなかったときに,時間的な損失を最小限にしたい,という気持ちから生じるものかもしれない。だから,最初は短時間で体験できるものを選ぶ。これが,楽なものを選ぶ動機の1つといえる。
しかし,お気づきだと思うが,重要な点を忘れている。それは,時間をかけなければわからない「楽しさ」というものがある,ということ。もっといえば,時間をかけることでしか,本当の楽しみは味わえないのだ。
森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.60-61
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