アイドルの少女に憧れて,あんなふうに自分もなりたい,と思いついても,誰もがアイドルになれるわけではないだろう。宇宙飛行士になりたいと思っても,もう遅いという年齢の人はいるはずだ。「自分」の可能性がいかに限定されているか,ということはもう嫌というほど思い知っているのが「大人」である。しかし,だからといって,こういうときに「あいつはいいよな,恵まれていて」といくら妬んでも,なんの足しにもならない。
人によっては,その不可能な目標を「小さく低く表現する」ことで自分の欲求不満を解消しようとする。「アイドルなんて◯◯なだけだ」というような悪口を言い,それで自分はそんなものに興味はないよ,という態度を取る。これは傍から観察していると,勝手に憧れ,勝手に諦め,勝手に妬んでいるわけだから,意味不明というより非常に滑稽な行為なのだが,本人にしてみれば自己防衛の一手段であり,意味はある。愚痴をこぼすことでストレス解消している人も同じだ。それが,その人の「自分」だし,「楽しみ」なのだから,それで良いと思う。他者に迷惑がかからない範囲ならば,問題はない。ときどき,その愚痴をみんなが聞いてくれないからと立腹し,破滅的行為に及ぶ例外的な人がいるけれど,そういう精神はそもそも例外的なレベルであって,その原因の一つを取り除いても,また別の原因で破滅へ向かう可能性が高いだろう。事件が起こるのを遅らせることはできても,根絶することは難しい。
森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.74-75
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