さらにもっとわからないのは,賭け事である。あれは技や能力ではない。ルーレットのように単なる偶然で勝ち負けが決まるものが多い。そういう状況で「勝つ」ことの価値は何か?それはもらえる金や物の価値だけである。それ以外にない。そして,それは「負け」た他者から奪ったものだ。奪うことが楽しいのだろうか?ちょっと考えてみると,馬鹿馬鹿しさが見えてくるのだが……。
こういった勝ち負けの楽しさに明け暮れていると,人を負かさないと楽しめないようになる危険がある。つまり,「人の不幸が楽しい」という感覚になる。「あいつをぎゃふんと言わせてやりたい」「あいつの泣き顔が見たい」という歪んだ感情が育まれるだろう。これは,はっきりいって「貧しい」精神である。
楽しさとは,けっしてそういうものではない。楽しさは,「他者」との比較から生まれるものではない。「自分」の中から湧き出るものだ。どうしても比較がしたいのならば,「他者」ではなく「自分」と比較しよう。昨日の自分よりも今日の自分は何が違うのか。去年の自分に,今年の自分は勝っているか。そういうふうに考える方が健全だ,と僕は思う。そして,「他者」と比較しない「自分」こそが確固たる揺らぎのない,つまり「ぶれない」自分であり,また,別の言葉でいえば「強い」し「美しい」という表現が相応しい「自分」だと思うのである。
森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.121-122
PR