要するに,文化を楽しめるかどうかは,カネの問題ではない。正式な教育の問題でもない。学のある人間は,とかく高尚な文化から「多くのものを得よう」とするが,教育を受けていないからといって,作品を味わえないわけではないし,学べないわけでもない。現代社会では,高校や大学,大学院に進学することと,知性や忍耐といった文化の鑑賞眼を養う資質には相関性がある。だが,常にそうだったわけではない。ベートーベンの演奏に耳を傾けた聴衆のなかにも,ルネサンス期のフィレンツェにも博士号をもっている人間はいなかった。修士号すらなかった。それでも,当時の多くの人々は,大いなる知性と情熱で芸術を愛した。哲学者のジョージ・サンタヤナによれば,歴史的にみると古代ギリシャ人の教育程度は低いという。それでも文化という観点では,大きな仕事をやってのけたのだ。
タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.71
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