メキシコでは,誘拐犯と保険会社が取引する仕組みが確立している。犯人と保険会社が話し合い,人質と身代金の交換が行われる。両者は何度も取引をした実績があり,相互の「信頼関係」があるので,誘拐した事実を知らせるために,人質の耳を削ぎ落して送る必要がない。誘拐犯のほとんどが,保険に入っている人質を好むのは意外ではない。保険が,誘拐犯のインセンティブになっているのだ。人質が保険に入っているほうが,取引がスムーズに進むし,誰もがプロフェッショナルとしての行動をとる。少なくとも行動が予測できるからだ(卑劣な行動を取り,市場を荒らす,ならず者もいる)。要するに,保険会社は,犯人が信用できる約束をするための手助けをしているわけだ。身代金を払えば人質を生きて開放してくれる犯人,取引が可能な犯人に,保険会社がお墨付きを与える。誘拐犯にとって保険会社は一種の業界団体であり,事業の向上を助けてくれる存在だ。掟を知らない,ならず者に保険会社はカネは渡さない。いわば誘拐ビジネスを「規制」しているわけだが,このことで多くの事件を誘発し,罪を増やしているのもまた事実だ。
タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.231-232
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