アメリカでは,学生を集める責任を負っているのはアドミッションズ・オフィスです。入学生の量と質を確保できなければ,それは彼らの責任です。
一方,教員は,アドミッションズ・オフィスが集めた学生を預かるわけですから,入学させた学生が十分な成果を出せなければ,「せっかく全国から一流の学生を集めたのに,十分な教育成果が上げられていないじゃないか。教員は何をやっているのだ」と,アドミッションズ・オフィスから批判されます。お互いに,お互いの仕事を監視し合う体制です。
もちろん,教員とアドミッションズ・オフィスは連携していて,「いま,こういう教育が必要になってきているから,今後はこうした意欲や能力のある学生を集めてほしい」とか,「最近の入学希望者には,こうした経験が不足してきているようだ。教育サイドで,こうした点を補ってくれないか」などのやりとりをしています。
「あなたに合格を出すが,その代わり入学後にこの講義を履修し,一定以上の成績を修めることが条件です」という「条件付き入学」をアドミッションズ・オフィスが出すこともあります。ここからもわかるとおり,彼らは単なる入試事務の担当者ではなく,教育を扱うプロフェッショナルなのです。
日本でもアメリカにならい,入試課の名称を「◯◯大学アドミッションズ・オフィス」などに変更する例が見られますが,ほとんどの大学では,実情は以前と変わらぬ「入学試験付帯業務実行課」です。
そして責任の所在も,相変わらずあいまいです。受験生が集まらなかったという理由で責任を問われた入試課長や理事長を,私は知りません。また,入学した学生の学力を向上させられなかったという理由で,教務担当の責任者や教員がマイナス評価を受けたという話も,聞いたことがありません。
倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.127-128
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