警察はこれまで暴力団を博徒,テキ屋,青少年不良団(愚連隊)の三種に分類してきたが,このうちテキ屋が主導して新宿を再建し,戦後しばらくの間,新宿はテキ屋優先時代を現出した。
テキ屋とはわかりやすくいえば,祭りや縁日などが開かれる社寺の境内や参道で屋台や露店を出して商売する人たちである。博徒はばくち打ちを意味するが,現状は博徒,テキ屋,青少年不良団すべてが「暴力団」であり,彼らは同じような組織,行動,業態を取り,発生的に分類することはほとんど意味がなくなった。麻雀でさえできない博徒もいれば,たこ焼きを焼いたこともないテキ屋もいる。
しかし,あえて三分類を踏襲すれば,暴力団の今の主流は,山口組や稲川会など発生的に博徒とされる団体である(但しこれらの団体の傘下団体にはテキ屋も含まれる)。テキ屋は博徒に比べ下位に見られることが多いが,昭和三十年代後半まで歌舞伎町を含む新宿で幅をきかせていたのはテキ屋だった。博徒や青少年不良団はむしろ肩身狭く遊んでいた。
敗戦後,全国の繁華街はほとんど焼け跡,闇市時代を経ている。闇市を仕切ったのは,当時「三国人」といわれた朝鮮半島や台湾の出身者,戦時労働者として強制連行されていた中国人のほか,復員したり,徴兵されていなかった戦前からのヤクザ,愚連隊化した帰還兵,体育会系の学生などだったから,多少ともヤクザ,暴力団は全国どこでも戦後の街の再スタートに関係している。
溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.40-41
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