新宿は甲州街道の宿駅である内藤新宿に始まる。徳川家康が江戸に入り,徳川幕府を開いたのは1603年(慶長8年)のことだが,翌年,日本橋を起点に東海道,中山道,日光街道,奥州街道,甲州街道の五街道を定めた。このうち甲州街道は日本橋——呉服橋——外堀通り——麹町——四谷大木戸のルートで府内を抜け,高井戸——府中——小仏——大月——勝沼から甲府に入る。甲府からはさらに韮崎——蔦木——上諏訪——下諏訪と延び,下諏訪で中山道に合する。
1606年(慶長11年)に江戸城建設用の資材運搬路として青梅街道が定められたが,甲州街道との分岐点は内藤大和守の屋敷の前辺りだった。甲州街道の最初の宿駅は高井戸であり,日本橋から約16キロと距離が長かったこともあり,1698年(元禄11年)に新しい宿場として内藤新宿の開設が認められた。
内藤新宿は次第に江戸の外側に隣接する遊里になっていった。享保の改革期,内藤新宿は一時廃されたが,1772年(明和9年)に再開され,飯盛り女(売春を行う)の数は150人と定められた(東海道の品川宿は500人)。旅籠屋,茶屋の数はそれぞれ数十軒だったが,年々増え,現在の地下鉄新宿御苑前駅辺りを中心に,新宿通りの両側には繁華な歓楽街が形成されていった。
溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.84-85
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