敗戦後,日本人の多くは米占領軍ばかりか,中国人や朝鮮人に対しても恐れや怯えや反感を抱いていた。中国人は一夜にして「戦勝国民」となったし,台湾人や朝鮮人(当時は「第三国人」と呼んだ)の多くは日本植民地主義のくびきを脱して精神的にも解放され,敗戦日本をあたかも治外法権の地と観じた。彼らの暴力と横車を規制できるのはGHQだけであり,日本警察はほとんど無力だった。日本人の中で暴力的にわずかに対抗できるのは戦前からのヤクザ,帰還兵や学生崩れから成る愚連隊,総じて暴力団に限られていた。
まして日本国民は1923年(大正12年)9月発生の関東大震災の際,「朝鮮人が暴徒化,井戸に毒を入れ,放火して回っている」というデマや新聞記事を信じ,数百人から数千人と推計される朝鮮人を虐殺した歴史を持つ。朝鮮人が報復のため,敗戦の混乱に乗じ,日本人に同様の残虐行為を仕返すと予期したとしても不思議はなかった。
溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.115
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