相関係数を計算するのは容易だが,その解釈の間違いに悩まされてきた。次にその例を示そう。いま成長期にある1人の子どもの腕の長さと足の長さとの関係をプロットしたとしよう。2つの興味深い意味のある高い相関が得られるだろう。第1は,私がやった単純化である。私は2次元(足の長さと腕の長さ)から始め,それを1次元に効果的に還元させた。この例では相関が非常に強力なので,この(1次元の)直線は,もともと2次元として考えられたほぼ全ての情報を表していると言えよう。第2は,この場合,1次元へ還元したことの原因について合理的な推論をなしうることである。腕の長さと足の長さとは,しっかりと関連しあっている。なぜなら,いずれも,根底にある生命現象,すなわち成長の部分的測定値だからである。
しかし,相関は原因を明白に特定するための魔法の方法だなどと,期待しすぎないためにも,ここで,私の年齢と過去10年間のガソリンの値段との関係を取り上げてみよう。この場合には,相関は完全なものに近い。しかし,原因については誰も何も指摘できないであろう。相関という事実は原因に関しては何も示さないのである。強い相関が弱い相関よりもその原因をよく表すなどと考えるのは正しくない。私の年齢とガソリンの値段との相関は,ほぼ1.0である。先に腕の長さと足の長さの場合には原因に言及したが,それは相関が高いからではなく,これらについての生物学上の知識をもっていたからである。原因については単なる相関の事実からではなく,他のところから推論されなければならない(しかしながら,我々は原因を求めてはならないということを銘記しているならば,思いもよらない相関が我々を原因究明へと導いてくれるかもしれない)。この世界に見られる相関関係のほとんどには因果関係がない。過去数年感,減少し続けているものならいかなるものでも,地球とハレー彗星間の距離(これも最近は減少し続けている(原書出版時点の話であり,現在ではこの距離は増加しつつある))と強い相関を示すであろう。しかし,最も先進的な占星家でさえ,これらの間に因果関係があるとは認めないだろう。相関が原因を暗示するという根拠のない仮定は,おそらく人間の論理的思考のうち2つないし3つの最も重大で最も一般的な誤りに入る。
スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい 下 差別の科学史 河出書房新社 pp.96-97.
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