個人の力だけでは世界を動かせないという認識は,アラブの慣用句,「インシャラー」(神の思し召しがあれば)にも表れている。イスラム教徒は,未来のことを口にするとき,おきまりのようにこの言葉を言い添える。たとえば「また明日,インシャラー」というふうに。また日本で,困難な状況や気の進まない仕事に立ち向かう人たちがよく口にする,「しかたがない」という表現にも,この認識が表れている。個人は決して無力ではないが,人生というドラマの一登場人物に過ぎないのだ。
このような多様な物語がおよぼす影響を明らかにする方法の1つに,成功や失敗にどのような解釈が与えられているかを検証する方法がある。英雄や悪人について,どのような物語が伝えられているだろうか?北山忍とヘイゼル・マーカスほかの研究者は,2000年のシドニー・オリンピックと,2002年のソルトレークシティ冬季オリンピックでのメダリストの受賞スピーチを分析した。その結果,アメリカ人は成功要因を,個人の能力や努力という観点から説明することが多かった。「ただ集中を維持することだけを考えました。自分の実力を世界に見せつける時が来たと……自分に言い聞かせたんです。『いや,今夜の主役は俺だぞ』って」。他方日本人選手の多くは,自分を支えてくれた人たちのおかげで成功したと考えていた。「世界最高のコーチと,最高のマネージャー,応援してくださった方々——みなさんのおかげで金メダルがとれたんだと思います……自分だけの力じゃありません」。
シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.84
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)
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