わたしたちは幼いときから,自分の周囲の世界を,自分の好みに応じて分類する作業を始める。「アイスクリームが好き。芽キャベツはきらい。サッカーは好き。宿題はきらい。海賊が好きだから,大きくなったら海賊になりたいな」。このプロセスは,年をとるにつれてますます複雑になるが,わたしたちが自分自身に対して持っている基本的前提は変わらない。「わたしはどちらかと言えば内向的だ」,「わたしはリスクテイカーだ」,「旅行は好きだけど,短気で空港セキュリティの煩わしさには耐えられない」。わたしたちが目指すのは,自分自身と世界に向かって「わたしはこういう人間だ」と宣言し,それを正当な評価として認めてもらうことだ。究極の目標は,自分自身を理解し,自分の本当の姿を,つじつまの合った形で描き出すことなのだ。
しかし人間は,一生の間に大いに発達し変貌を遂げる,複雑な存在だから,いつもそう簡単に,自分の積み重なった過去を理解できるわけではない。記憶や活動,行動が積み重なった厚い層の中から,自分の中核を象徴するものを何とかして選び出さなくてはならない。だがそうするうちに,さまざまな矛盾がいやでも目につく。たしかにわたしたちは自分の意志で行動することが多いが,諸事情からやむを得ず行動することもある。たとえばわたしたちの職場でのふるまいのうち,服装の選び方や上司に対する話し方などは,家族や友人に見せるふるまいに比べて,ずっと堅苦しく,保守的なことが多い。わたしたちはこうした食い違いや曖昧さが入り混じったものをふるいにかけて,なぜ自分がそのような選択を行ったかを自覚し,その上で将来どのような行動をとるべきかを決めなくてはならないのだ。
シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.121-122
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)
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