能力が遺伝することを根拠に,単一直線上にランクづけるというバートの考えは,イギリスで遺伝決定論を論拠とする知能テストの実施という政治的大勝利をもたらした。1924年の移民制限法が心理学におけるアメリカの遺伝決定論者たちの大きな勝利の印だとすれば,いわゆるイレヴン・プラス試験(中等学校進学適性検査)が同じインパクトを与える勝利をイギリスの心理学へもたらしたのである。子どもたちを別々の中等学校に入れるためのこの制度のもとで,生徒たちは10歳か11歳で大規模な試験を課せられた。それぞれの子どもたちにスピアマンのgを評定するためのこれらのテスト結果によって,20パーセントの子どもは大学入試準備をすることになる。“グラマー”スクールへ送り込まれ,残りの80パーセントは技能学校や“新中等学校(セコンダリー・モダーン・スクール)”へ追いやられ,さらなる高等教育には不適格であると見なされた。
スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい 下 差別の科学史 河出書房新社 pp.179.
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