訓練を積めば,多すぎる選択に振り回されることなく,選択が約束するものを有利に活かせるはずだ。選択のデータ処理上の要求と,そうでない要求の両方に対応する方法を身につけるには,まず2つのことが必要なようだ。第1に,選択に対する考えを改めること。選択が無条件の善ではないことを,肝に銘じよう。また認知能力や許容量の制約上,複雑な選択を十分に検討できないことをわきまえ,つねに最良の選択肢を探し当てられないからと言って,自分を責めないこと。第2に,専門知識を増やして,認知能力や許容量の限界を押し広げ,選択から最小限の労力で最大限の効果を引き出すことだ。
しかし専門知識を培うことは,それなりの代償を伴う。外国語を習得するとか,好きな食べ物を見つけるといったことは,不断の生活の中でえきるが,分野によってはかなりの訓練と労力を要するものも多い。その上,チェスの盤面の記憶実験で見たように,専門知識は一定分野にしか通用しない。懸命に努力して専門知識を習得しても,関係のある分野では思ったほど活用できず,関係のない分野にいたってはまったく役に立たないということもままある。万事に精通するのは時間的にも不可能だし,たとえ精通したとしても,労力が報われるとは限らない。自分の人生において,最も汎用性が高く,重要な選択にかかわる分野,大いに楽しみながら学習と選択ができる分野に集中したほうがいい。
では自分が精通していない分野で,賢明な選択をするにはどうするか?もちろん,精通している人の助けを借りるのだ。とは言え,具体的にどうするかという話になると,実行するのは難しい。選択肢を提供する側にとっては,経験の浅い人に適切な支援を与えつつ,経験者に敬遠されないようにするのは至難の業だ。他方,選択する側にとって難しいのは,選択肢群のどんな特性に注目すれば,より良い選択ができるのか,あるいは混乱するだけなのかを,見極めることだ。
わたしたちは,自分の好みは自分が一番知っているのだから,最後は自分で選ぶしかない,と思い込んでいる。たとえばレストランのメニューやビデオを選ぶときのように,人によって好みが大きく分かれる場合はたしかにそうだろう。だが総じて言えば,好みは人によってそれほど変わらないことが多い。たとえば退職投資なら,最高のリターンを実現するという目標は,万人に共通する。難しいのは,どうやってその目標を達成するかだ。こんなとき一番手っ取り早いのは,専門家の助言に従うことだ。ただし選択者の側に,専門家が自分の利益を最優先してくれるという信頼があることが,大前提となる。
シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.251-252
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)
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