またしても,ゴルディロックス帯の場合と同じく,設計仮説の代案となる人間原理的な仮説は統計的なものである。ここで科学者が頼みにするのが,とんでもなく大きな数字の魔術だ。私たちの銀河では,10億から300億のあいだの惑星が存在すると推定されており,全宇宙にはおよそ1000億の銀河が存在する。通常そうするように用心のためにゼロをいくつか減らして,10億×10億という,宇宙にありうる惑星の数としては控え目な推計をしておこう。さて,生命の起源,DNAに相当するものの自然発生的な誕生が,本当は,まったくたまげるほどにありえない出来事であったと仮定してみてほしい。つまり,10億の惑星のうちでたった1つでしか起こらないほどありえないものだと考えるのだ。どんな科学者であれ,自分の申請している研究が成功する確率は100分の1でることを認めれば,研究助成金給付団体に笑われてしまうだろう。しかし私たちはここで10億分の1という掛け率の話をしているのである。それでも……そんなにべらぼうに低い掛け率であってさえ,10億もの惑星上で生命が誕生してることになるのだが---もちろん,地球はその1つである。
もう一度言いたいが,この結論は非常に驚くべきものである。もし,生命が惑星上で自然発生的に誕生する掛け率が10億対1であるとすれば,それにもかかわらず,その唖然とするほどありえない出来事が,それでも10億もの惑星で起こっているだろうというのだ。そうした10億の生命をもつ惑星のうちどれか1つを見つけだせる確率は,と考えると,干し草の山の中から1本の針を探すという諺を思い出す。しかし私たちは針を見つけに出かけていかなければならないということはない。なぜなら(人間原理に戻れば),探索能力があるほどのいかなる存在も必然的に,探索を始めるそれより前に,そうした,とてつもなく稀な針のうちの1本の上にいなければならないからである。
リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2007). 神は妄想である 宗教との決別 早川書房 pp206-207.
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