だが,ぼくは戦争をして,負けてよかったと思っている。
ぼくの幼年時代から少年時代にかけて,警察,憲兵(陸軍のポリス),全国の中学校からうえの学校にかならず配属されていた陸軍将校などの威張り具合。
ぼくの中学の配属将校は20代半ばの中尉だったが,校長以上の権限を持っていた。
そのうえ,学校で教えられることのなかに潜んでいるたくさんの嘘(歴史がその代表だった)に対する疑問を口にすると“非国民”呼ばわりされる不自由さなど,時代の重苦しさに直感的な理不尽さを感じていたからだ。
敗戦の日,1945年8月15日,ぼくは水戸の航空通信師団本部で迎えたが,真っ青に腫れあがった快晴で,真夏の太陽が焼けるように照りつけていた。
敗戦で権力が崩壊した戦後の数年,生活は苦しかったが,あの自由な爽快さは忘れることができない。
敗戦の日の澄んだ青空が六十数年すぎたいまも,昨日のことのように思いだされる。
木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.47-48
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