テレビのコメンテーターは,
「昔はこわいオジサンがいて,子供たちが間違ったことをしていると,自分の子供でなくても注意したものだ」
と,よくいうが,ぼくの記憶では正反対に思える。
ぼくが子供のころ,仲間とよく喧嘩をしたが,そんなとき,親が口をだすと,いままで喧嘩をしていた子供たちが一緒になって,
「子供の喧嘩に親が出る!」
と,一斉に囃し立てたものだ。
子供のトラブルは子供で解決する。それがルールになっていた。これは兄弟の場合もおなじで,ぼくは2歳違いの弟と,よく取っ組み合いの喧嘩をした。だが,祖母も母も,よほどのことがないかぎり,とめようともしなかった。
からだがちいさく非力だったぼくは,弟に負かされ,悔しさのあまり,大の字に寝て,
「殺せ!殺せ!」
と,喚くしかない破目に追い込まれることが多かったが,祖母も母も見てみない振りをしていた。弟に負けるのが,ぼくにとっては屈辱だったが,親は一切,関与してくれない。屈辱をぼくは自分で処理するしかなかった。
木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.199-200
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