多くの航海者や海図作成者を困惑させ,海図上に数多くの混乱の種をばらまいてきた経度測定問題は,18世紀後半になって,ようやく解決を見る。17世紀はじめ,ガリレオ・ガリレイは,自らの発見した木星の衛星を利用して経度を測る方法を考案した。この木星法は,17世紀半ば,イタリア出身でフランスに帰化した天文学者ジョヴァンニ(ジャン)・カッシーニによって実用化され,地上の測量では大きな威力を発揮することになった。しかし木星法は,木星を観測できる時期が限られていることや,揺れる船上での観測が難しいことなどから,航海では使いものにならなかった。
18世紀には,月と太陽や恒星との見かけの位置関係から経度を求める「月距法」が有望視されるようになった。この方法は実用に耐えるものであったが,正確な星図と月の運行表を用意しておく必要があり,しかも,つきが見えなければ測定できない,という欠点があった。
イギリスの時計職人ジョン・ハリスンは,精密で持ち運び可能な機械式時計(クロノメータ)さえ作ることができれば経度問題は解決できる,と考えた。彼は,1735年にクロノメータ・ハリスン第1号(H1)を開発したのち,4半世紀もの歳月をかけてその改良に取り組み,ついに1759年,その最高傑作となったH4を完成させた。1761〜62年の実験で,H4は81日間の航海でわずか5秒(経度にして1分25秒)の誤差,という好成績を出している。ジェイムズ・クックは,第2回航海(1772〜75)でH4のレプリカを使用し,その優れた性能を讃えた。
長谷川亮一 (2011). 地図から消えた島々:幻の日本領と南洋探検家たち 吉川弘文館 pp.66-67
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