時は1950年,説明できない奇妙な出来事の報道が増えていた。超常現象ブームがおこり,全国で「超心理学者」と自称する人々がペンとノートを持ってフィールドを駆けまわって調査を進めていた。彼らは調査報告を書いては研究所に送ってきたが,55歳で,今や誰もが超心理学の父と認める謹厳なJ.B.ライン博士には,人々の熱狂に冷や水を浴びせるような面があった。ラインは天水桶や生まれ変わり,UFOやその他,当時世間の人々の空想力を夢中にさせている奇妙な出来事には心を動かされなかった。それらはほとんど,でっちあげ事例,幻覚,希望的観測と断じられるのだ。ライン自身は,心霊研究を曖昧な世界から実験室に持ち込むことに生涯を費やした。しかし,若手の科学者たちは引っかかりを感じはじめていた。彼らはESPとPKの証拠を発見した。もし実験室内でそれが存在するなら,外の世界でも発見できることにならないだろうか?彼らは外に出て自分の目で確かめたいと考えていた。
ESPプロジェクトをやめないというラインの決意は,研究者たちを事実上の停滞状態に追いこんでいた。証拠を見つけたとはいえ,まだESPについての仮説も立てられていなかったし,なにしろ1950年の時点で,1938年の実験データにもとづいた論稿を書いていたのだ。1938年,研究所はオハイオ州立病院の精神病患者50人のESPテストを実施しており,患者の診断名は妄想型早発性認知症から躁うつ病,神経衰弱症まで様々だったが,診断と能力のあいだに相関は見出せず,それどころか被験者でめざましい成果を上げたものもいなかった。ポルターガイストのような刺激的な研究対象があるときに,若手の研究者のうち何人が,12年前のESPテストの結果を再検証したいなどと思っただろうか?
ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.135-136
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