適切な時期がやってきたのは1970年代になってからだった。CIAが,ロシアには霊能スパイがいるという情報を掴み,このときは以前より確信を持ったらしく,1975年にスタンフォード国際研究所に5万ドルをわたして,のちに「遠隔透視」と呼ばれるようになったものを見つけ出すように命じたのだった。CIAは,実験を密かに,そして学術機関以外で実施することを望んでいた。
最終的には,1978年に陸軍の霊能スパイ組織である<スターゲイト>が組織されることになり,1995年に終了するまで毎年,国会は予算を承認した。予算は結局2000万ドルにもなった。これは巨額の予算を投じたプログラムに見えるかもしれないが,スターゲイト計画の7年間の総予算は核兵器研究予算の2日分に等しい。また,1993年に心理学者サイボ・スハウテンは,100年間に超心理学に投資された資金を総計すると,一般の心理学研究費の2ヵ月分にしかならないということを指摘している。
スターゲイト計画の初期メンバーのひとりであるマクモニーグルによれば,何年にもわたり,CIA,国防情報局,麻薬取締局,国家安全保障局,FBI,国家安全保障会議,国境警備隊,諜報部,ホワイトハウス,そして国防省のすべての情報局,沿岸警備隊までもが,スターゲイトの遠隔透視を利用していたという。
しかし議会は1994年に,スターゲイト計画をCIAの管轄下に置くことを決議した。その後CIAは米国研究政策研究所(AIR)に,スターゲイト計画の有効性を検討するように依頼する。同研究所は,カリフォルニア大学のジェシカ・アッツ教授と,オレゴン大学のレイ・ハイマン教授のふたりに統計分析をさせた。
ただ,CIAはアッツとハイマンのふたりにスターゲイト計画のすべてのデータを入手できるような,保安権限は与えていない。「(彼らは)20年間の成果とはとても呼べない数箱の資料をわたされて,検証するように言われただけでした。しかもその資料はCIAが自ら選んだものだったのです」とマクモニーグルは言う。アッツとハイマンは遠隔透視要因全員と話をすることもできずに,またスターゲイト計画に含まれていないそれ以前の遠隔透視研究を検証することもなく,報告書を作るように言われた。アッツは,スターゲイト計画は情報収集法として価値があると判断するに足る,重要な結果と証拠を見つけ出したのだが,ハイマンの答えは否だった。アッツはハイマンのコメントへの反論を書いたが,これは最終報告に掲載すらされなかった。
ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.246-247
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