この構造がわかるだろうか?
まずは各種運動体が,社会的問題を指摘する。この中では,問題に注目を集めるため,確信犯的に事大的な論陣を張ることがまま見受けられる。ただこれは,私はある面仕方ないと考える。なぜなら,そうしないことには問題が社会に認知されないからだ。
ここから先。マスコミがこれに飛びつく。そこで,まったく資料検証がなされずに,こんな大げさな数字が一般人の目にさらされることになる。こうして,社会的認知が広まり始めたところに,「これは次の儲け口だ」と指揮者という名の“にわか論者”が飛びつく。結果,本格的なムーブメントとなり,政治や立法にまで伝播する。
その動きに,水を差す気などさらさらなく,「火よ燃え盛れ」と傍観するお役所の人たち。しばらくすれば,彼らだけが1人,焼け太りをするという構図。
その昔は,お役所がとんでもなく甘い「経済効果」をもとに,道路や箱ものをつくって,それを識者や運動家が批判した。今はその逆で,運動家が発した問題に,識者が火を付け,結果,とんでもなく大きな「社会的予算」が作られる。
そして,問題はまったくわけのわからない方向へと悪化していく。
海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.121-122
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