なるほど,熱帯多雨林の生物体が他の種のために貴重な奉仕を行っているという,なんとも優しげな意見もある。たしかに土壌細菌をすべて取り去ってしまえば,木々に対する影響,ひいては森林のほとんどの生命に対する影響は,悲惨なものとなるだろう。しかし,それが土壌細菌がそこにいる理由なのではない。土壌細菌が枯れ葉や死んだ動物や排出物を分解し,肥えた土をつくることが,森林全体の繁栄が続くために有用である,というのもたしかにそのとおり。しかし土壌細菌は土を肥やすためにそれをするのではない。土壌細菌は枯れ葉や死骸を自らの食料にしているのだ。土を肥やす活動を組み込んだ自らの遺伝子の利益のために。この私利をはかる活動にただ付随する結果として,土が植物にとって改善され,そのため植物を食べる草食動物や,草食動物を食べる肉食動物も恩恵をこうむるのだ。熱帯多雨林の群落に住む種が,そこに住む他の種のいる中で繁栄する理由は,それが祖先たちの生き延びてきた環境だからである。おそらく土壌細菌がそれほど存在しないところで繁栄する植物もあるだろうが,それは熱帯多雨林で見られる植物ではない。そのような植物は,砂漠に行けば見つかるだろう。
これが,「ガイア」仮説の誘惑への正しい対処法である。「ガイア」という夢のような空想の中では,全世界はひとつの生命体であり,それぞれの種は全体の利益のためにわずかながらの貢献を行っていて,たとえば細菌はすべての生命のためを思って大気中の気体の含有量を改善するために働いているらしい。この手の悪質な詩的科学の中で,私が知っている最も極端な例は,ある著名な年配の「エコロジスト」の言葉だ(エコロジストにつけたかぎ括弧は,学問分野としてのまっとうな学者ではなく,環境保護運動の活動家であることを示している)。私にこの話を教えてくれたのはジョン・メイナード=スミス教授だが,その彼がイギリスのオープン・ユニヴァーシティが主催する会議に出席していた時のこと,話題が恐竜の集団絶滅のことになり,このカタストロフィーを引き起こしたのは彗星の衝突なのだろうか,という疑問が出された。髭を生やしたそのエコロジストは,少しの疑念ももっていなかった。「もちろんそうじゃない」彼は断固として言った。「ガイアはそんなことを許しませんよ!」
リチャード・ドーキンス 福岡伸一(訳) (2001). 虹の解体 いかにして科学は驚異への扉を開いたか 早川書房 pp.293-295.
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