ヴァーチャル・リアリティをつくりだす精巧なコンピュータとして,脳が機能していることを証明するには,以下のような簡単な実験をしてみればよい。まず,目をきょろきょろ動かして,あたりを見まわしてもらいたい。あなたが目をきょろきょろさせるのに応じて,あなたの網膜は揺さぶられる。まるで,地震のときのように,である。しかし,あなたには,地震のときと同じようには感じられない。あなたが見ている世界は,山のごとく不動である。お察しのとおり,私は,「不動世界のモデル」を脳がつくりだしている,ということを主張したいのである。しかし,この事実だけでは,十分な証明にはなっていない。なぜなら,あなたの網膜を揺さぶるには,これとは別の方法もあるからだ。では次に,まぶたの上から眼球を,やさしくつんつんと突いてみてほしい。さきほどと同じように,網膜像は揺さぶられるだろう。実際,指の動かし方をうまく調節すれば,眼そのものをきょろきょろさせたときと同様の影響を,網膜に与えることができるはずだ。それにもかかわらず,指で突ついた場合には,地面が揺れ動いているように見えてしまう。まるで,地震が起こったかのように風景全体が揺れて見えるのだ。
この2つのケースのあいだには,どんな差があるのだろうか。このことに関しては,次のように説明することができるだろう。脳の中のコンピュータは,通常の眼球運動を計算にいれている。外界についてのモデルを作る際には,それを考慮するように設計されているのである。見たところ脳は,眼からの情報だけではなく,眼の動きに関する指示を出すような部門からの情報も,計算にいれているようだ。筋肉に対して,眼球を動かすように命令を出す際には,脳は必ず,その命令の内容のコピーを,ヴァーチャル・モデル構築部門に送る。そして眼が動くとき,ヴァーチャル・リアリティ・ソフトウェアは,網膜像の動きを予想するよう指示を受け,その動きの大きさを正確に予想させられる。このことによって,ヴァーチャル・モデルは眼球運動の影響分だけの補正を受けることになるのだ。このシステムにより,外界についてのモデルは,眼を動かしても揺れたりはしない。別の角度から見た像になるだけである。しかし,眼球運動の予告が,ヴァーチャル・リアリティ部門にこないときに,網膜に映る外景が揺れ動いたとしたら,そのモデルは,網膜像の揺れに応じて揺れるのだ。うまくできているものである。なぜなら,そのときは,たぶん本当に地震が起こっているのだから。あなたが,眼球を突つくことで,このシステムを欺いているのないかぎりは。
リチャード・ドーキンス 福岡伸一(訳) (2001). 虹の解体 いかにして科学は驚異への扉を開いたか 早川書房 pp.366-367.
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