日本人は技術者としては優れているが科学では立ち後れている,という決まり文句を聞いたことがあるだろう。これは単なるステレオタイプではない。日本人の優れた光学技術は,アメリカ産業界にとって脅威だ。工学を教えている私の同僚や,技術者を雇っている友人に言わせれば,アジア系アメリカ人のほうが人口あたりの技術者の割合が多いだけでなく,平均でヨーロッパ系アメリカ人より優れた技術者を輩出しているという。
しかし,1990年代の10年間にアメリカ在住の44人が科学分野のノーベル賞を受賞したが,そのだ大部分はアメリカ人で,日本人はわずか1人だった。資金の違いだけによるものではない。ここ25年間で日本は基礎研究に,アメリカより約38パーセント多くの予算をつぎ込んできた。1990年代に5人のノーベル賞受賞者を輩出したドイツの2倍だ。中国や韓国は相対的に貧しく,最近まで発展途上国だったので,これらの国の人たちが基礎研究でどれだけ成功するかはまだ判断できない。しかし,科学における生産性への道に立ちふさがる障害物として,包括的に考えたがる相互協調的な人々に共通して当てはまるかもしれない事柄を,いくつか指摘できる。
第1に,東西の社会的違いとして,科学における西洋の進歩に有利に働くようなものがいくつかある。日本では,多くの面で西洋よりも階層的に組織されていて,また年長者を立てることに大きな価値が置かれているため,年老いて生産性を失った科学者により多くの研究資金が流れる。
私が考えるところでは,西洋のように,1人ひとりの成果に報いて個人の野心を尊重することが,科学では望ましい。研究室に何時間も詰めていることは,科学者の家族にとっては必ずしもふさわしくないが,個人的名声や栄光には欠かせない。西洋では,討論は当然のことで,科学活動には欠かせないと見なされているが,東洋のほとんどでは無礼だと考えられている。ある日本人科学者が最近,友人同士のアメリカ人科学者が人々の前で激しく言い争っているのを見て,仰天したと言っている。「私はワシントンのカーネギー財団で働いていて,親友同士の2名の著名な科学者を知っている。しかし2人は研究になると,学術雑誌上でも激しい論争を戦わせる。アメリカでは起こることだが,日本では決して起こらない」
リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 212-213
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)
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