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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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懐疑論者の二重規範

 ドナルド・グリフィンは,1940年に開かれた動物学者たちを驚かせたある会議で,同僚のロバート・ガランボスとともにコウモリのエコロケーションという新発見の事実をはじめて報告したとき,どんな反応が起こったかを語っている。それによると,ある高名な科学者がとても信じられないと言わんばかりに憤慨して,

 ガランボスの肩をつかんで揺さぶりながら,そんなとんでもない発表はとうてい本気にできないと,不満を述べた。レーダーやソナーは,軍事技術としてまだ開発中の機密事項であったし,コウモリがたとえかけ離れてはいるにせよ電子技術の最新の勝利と似たことをしているという考えは,大部分の人々に納得されなかったどころか,感情的な反発を招いたのだ。

 この高名なる懐疑論者に同情するのはたやすい。彼がそれを信じたくなかったのはどこかしらとても人間的である。しかもそれこそ,人間とはまさしくそういうものなのだということを語ってもいる。われわれが信じがたいと思うのは,われわれ人間の感覚がコウモリの感じていることを感じられないからなのは,はっきりしている。われわれは,人工的な機械を使ったり紙上で数学的な計算をしたりというようなレベルの話としてしかそれを理解できないので,小さな動物が頭のなかでそんなことをしてのけるとは,とても想像できないと思っている。しかるに,視覚の原理を説明するために必要になるはずの数学計算だってまったく同じように複雑でむずかしいけれども,小さな動物がものを見ることができるということについては,かつて誰ひとりとしてそれを信じがたいとは思いもしていない。われわれの懐疑主義にこうした二重規準(ダブル・スタンダード)がみられる理由は,ごく単純に,われわれが,見ることはできてもエコロケーションはできないからである。

リチャード・ドーキンス 日高敏隆(監訳) (2004). 盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か? 早川書房 pp.70-71.
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