心理療法家によれば,瞑想によって生後6ヵ月の記憶を思い出せることもあるという。一方で実験心理学者によれば,2歳半以前の出来事を思い出すことは難しいという。
このように,心理療法家と実験心理学者の見解は根本的に相容れない。これは別に驚くべきことではないだろう。そもそも科学者たちは常に論争し,そのなかから真実を見つけてきたではないか。けれど,一方の見解が,もう一方の見解よりも信頼できるものであることを示す手がかりがある。心理療法家の見解はあまりに単純で,具体的でなく,逸話的で,裏づけとなる証拠がなく,明らかに特殊な方法でデータを収集している。それに対して,本章で説明するように,実験心理学者の見解は慎重で,より詳細であり,数カ月にわたる綿密な実験や統計的分析にもとづいており,慎重な論じ方をしている。
記憶を研究する際に問題となるのは,記憶は誰にとっても身近なものであるために,私たちは記憶について自分なりの考えを持っているということだ。だから,記憶を科学的に研究していく場合には,心理療法家のように検証されていない個人的な印象を述べるといった方法でなく,実証的な根拠にもとづいて考える必要がある。
また,記憶は研究者にとって,客観的に扱うことが難しい対象である。自分なりの考えと一致しない見解を受け入れることが難しいからである。だからこそ,記憶を研究する者は徹底的な懐疑主義者になるべきなのだ。これに対して,心理療法家はそうである必要はない。もし,助けを求めて心理療法家のもとにやってきた患者の話を疑うようであれば,患者は逃げ出してしまうだろう。
カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.30-31
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)
PR